19世紀と20世紀
19世紀
1840年代の初頭、ヴァシュロン コンスタンタンの社長ジョルジュ・オーギュスト・レショ(1800~1864)が時計の部品を製造する機械を設計し、スイス時計産業に大きな変革が訪れた。機械化により、高性能な時計が以前よりもずっと速く、低コストで製造できるようになった。レショ自身は、機械化が進んだのちも手作りの仕上げにこだわった。
19世紀、スイスの時計産業の好景気は続き、19世紀中葉までにはイギリスを追い越し、世界最大の時計製造・販売国になった。
19世紀後半、時計部品の大量生産によって競争国となったアメリカの台頭によって、スイス時計産業は初めて深刻な状況に陥った。アメリカが製造する時計部品は、精密で、違うモデルへの使いまわしが可能なものだった。その後、10年間でスイス時計のアメリカへの輸出高は約75%減少した。
アメリカの台頭は、スイス時計産業にとって深刻な打撃だった。そして、スイスも精密時計部品の大量生産を開始した。20世紀の初めには、時計にカレンダーやストップウォッチなどの付加機能が付いたものを発表し、スイスの時計産業は競争力を高めるために奮闘した。そして、1920年には、ローレックスが世界で初めて防水時計の開発に成功した。
20世紀
1967年、ヌーシャテル州のスイス電子時計センター(CEH)が世界初のクォーツ時計の開発に成功したが、大量生産化に出遅れ、スイスの時計産業の大変革の時代は終った。
70年代に入り、クォーツ時計商品化の出遅れが、スイスの時計産業に暗い影を落とすことになった。
その後、予期せず、ある経済コンサルタントがスイス時計を新たにファションアイテムとして蘇らせ、スイス時計は、再び世界市場のトップに返り咲いた。1995年、高品質でありながら手頃な価格のスウォッチの登場は、スイスを再び時計輸出国のトップの座に蘇らせた。
スウォッチの成功は、消費者のスイス時計産業への信頼を強め、新しい販売戦略を示したことによりスイス産業界の指標となった。

