シモン・アマン
1981年6月25日にザンクトガレン州グラープスで生まれたシモン・アマン(愛称シミー)は、幼少の頃からすでにスキージャンプの才能を開花させ、16歳の若さでスキージャンプ・ワールドカップ、続いて、長野オリンピックへの出場を果たした。
その後の数年間、世界レベルでの活躍は見られなかったものの、2002年にソルトレイクシティで開催されたオリンピックでは、すべてのライバルを出し抜いて、ノーマルヒル、ラージヒル共に金メダルを獲得し、同大会2冠王となった。その成功により、シモン・アマンは、メディアにも取り上げられ、多くの人々に知られるようになる。はつらつとした少年らしい顔立ちと社交的な人柄のスイス・ドイツ語圏出身のアスリートは、国内外の多くのファンを獲得した。
シモン・アマンは、オリンピックのわずか一ヵ月後、オスロのホルメンコーレン・ジャンプ台での競技で、初のワールドカップ優勝を果たし、キャリアの頂点に達したように見えた。しかし、次のシーズンからは、再び、困難な道のりが待ち受けており、シモン・アマンは、不調の時期を過ごすこととなる。2006年に開催されたトリノオリンピックでの失点は、今までにない敗北だった。しかし、2007年の札幌大会において、ラージヒルで金メダル、ノーマルヒルで銀メダルを獲得し、シモン・アマンは、再び、頂点に返り咲くこととなった。
歴史に残るジャンプ
世界大会で獲得した多くのメダルと2009年、チェコのリベレツで開催されたノルディックスキー世界選手権での銅メダルによりシモン・アマンへの評価は、大きく高まった。その後に続くシーズンの成績により、シモン・アマンは、ついに、スキージャンプの歴史にその功績を連ねることとなる。
バンクーバーオリンピックでは、ノーマルヒル、および、ラージヒルで金メダルを獲得し、8年前のソルトレイク以来2度目の個人2冠王という偉業を成し遂げた。オリンピック後も好調を維持し、続く、スロベニアのプラニツァで開催された世界選手権では、試合前に彼のビンディング(留め具)が規定外であるかどうかという議論があったものの見事優勝を果たし、ワールドカップ総合優勝を手にした。シモン・アマンは、クリスタルトロフィーに名を刻まれた初のスイス人選手である。
受賞
2010年、にスイス・スポーツマン・オブ・ザ・イヤーを受賞。
外部サイトへのンク
- シモン・アマン公式サイト (英語)
- FISスキージャンプ (英語)
