反宗教革命
宗教改革は人口の多い都市部を中心に急激に広まったが、カトリック側も巻き返しを図った。
カトリックの邦では、それまでは司教が行ってきた裁判や財政関連の仕事や時には聖職者としての役割までをも世俗役人が代わって行うなどの変化があった。
また、改革派が学校を創立したことにならい、イエズス会の神学校が創設された。
カルロ・ボッロメオ(1538-1584)は、スイスのカトリックの再生に貢献した中心的人物である。1579年、ボッロメオはミラノに「スイス神学院」を作った。1610年に亡くなったボロッメオは、スイスのカトリック教会の守護聖人とされている。
カトリック教会はいくつかの邦の再カトリック化に成功した。1531年の第二次カペル戦争の和平条約では再カトリック化が認められ、いくつかの共同支配地に影響を与えた。15671年にベルンからサヴォワ家に返還されたシャブレーとジェクスはカトリックに戻り、ヴァリス/ヴァレーも影響を受け、徐々にカトリックに戻っていった。
その他の邦は、カトリック教会の圧力を受けながらもプロテスタントに留まった。トッゲンブルクはザンクトガレン修道院に属しながらも、プロテスタントに留まり、グラールスではカトリック教徒とプロテスタント教徒が共存した。また、個人が信仰を自由に選べる邦もあった。アッペンツェルは1597年に、カトリックのアッペンツェル・インナーローデンとプロテスタントのアッペンツェル・アウサーローデンに分離した。