スイスの公式情報サイト

Your Gateway to Switzerland

宗教戦争

1528年、宗教改革後に壊されたベルン修道院の司教の像 (新しいウィンドウ)

1528年、宗教改革後に壊されたベルン修道院の司教の像© Stefan Rebsamen / Bern Historical Museum

他のヨーロッパの地域同様、スイスでもローマ教皇派と宗教改革派による宗教戦争が勃発した。

1525年、チューリヒは、スイスで初めて宗教改革を公式に認めた邦となった。その後、ツヴィングリは、現在のドイツ語圏にあるほとんどの産業都市で宗教改革を行い、ソロトゥルンとフリブールを除く全ての都市がプロテスタントに改宗した。

中央スイスの農村地帯では改革の成果は上がらなかった。一般的に教育の程度が低かった農民は、ツヴィングリのことを権力を持った大都市チューリヒからの使者と信じ、説得に応じなかった。

改革派は農村との妥協を見出せずにいた。改革派の邦同士が同盟関係を強める一方で、カトリック教徒とオーストリア公フェルディナントが同盟を結んだ。

ツヴィングリはプロテスタントをスイス全土に広めようとしたが、宗教改革を果たした邦はカトリックの邦との戦争に反対した。結局、1529年の仲裁裁判によりツヴィングリの構想は受け入れられなかった。1531年に勃発した第二次カペル戦争でツヴィングリは戦死した。

第二次カペル条約(第二次和平条約)が締結された。革命派は撤退し、邦ごとの信仰の自由が認められた。

外部サイトへのリンク