ジュネーヴ

“エスカラード作戦”400周年を祝うジュネーヴの“1602年の会”のメンバー© swissworld.org
カルヴァンの宗教改革運動はジュネーヴに大きな影響を与えた。カルヴァンが聖職者に権力を委譲しようとすると、人々は熱狂的にそれを支持したが、中にはカルヴァンの方法を滑稽だと思う人もおり、ジュネーヴには嘲笑的に“ヒエロポリス(聖なる都市)”というニックネームがつけられた。
カルヴァンの導入した新しい政治体制とフランス、イタリア、オランダ、イギリスから宗教的迫害により自国を逃れた亡命者の流入によって、ジュネーヴは著しく変化した。亡命者はカルヴァンを支持したが、多くの亡命者を受け入れることによる影響を恐れたジュネーヴの地元住民は1555年に暴動を起こした。
カルヴァン主義の布教者になるための教育を受けた亡命者の1人が、スコットランド教会を創設したジョン・ノックスである。
亡命者の中には多くの印刷工や出版業者がおり、宗教革命の理念を広めることに貢献した。1559年、ジュネーヴ大学が創立され、多くの学生が集まった。
宗教革命の潮流の中でジュネーヴに亡命した人々は、手工業者や銀行家などさまざまな職業を持っており都市に繁栄をもたらした。
1602年、サヴォワ公シャルル・エマニュエル1世は、ジュネーヴを再び支配下に治めようと夜襲をかけたが、市民の抵抗にあい作戦は失敗に終わった。この奇襲攻撃はサヴォワ家がジュネーヴに侵入するため要塞に立てた梯子にちなんで“エスカラード”(要塞攻撃のための梯子作戦)と呼ばれている。
外部サイトへのリンク
- 「エスカラード」はジュネーヴ人の誇り スイスインフォ