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アッペンツェルのランツゲマインデ (新しいウィンドウ)

アッペンツェルの町の壁画に描かれた州レベルの投票を挙手で行うランツゲマインデの様子。© Roland Zumbühl

17世紀のスイスは、まだ一つにまとまっていたわけではなく、さまざまな領地から成り立っており、人々が享受する自由も住む地域によって差があった。

住民の持つ権利は邦の地位と政治構造に強い影響を受けていた。

6つの邦では、定期的にランツゲマインデという住民集会が開かれ、男性住民が各邦の重要事項の決定に関与した。しかし、ランツゲマインデには全ての市町村が参加できたわけではない。また、これらの邦では権力を持つ一族の出身者達が主な公務を司っていた。

チューリヒやバーゼル、シャフハウゼンのような都市邦の政府では主に、ツンフト(ギルドの一形態、都市手工業者の同業職組合)が力を持っていた。ツンフトに加入するには厳しい審査を通過しなければならなかったため、都市邦の田舎に住む住民は邦の政治に対して大きな影響力を持つことは不可能だった。

一方、ベルン、ルツェルン、フリブール、ソロトゥルンなどの都市邦では、主都のごく限られた貴族が邦を統治し、一般住民には政治に関わる権利はなかった。ベルンでは、政治の実権を握る人々は“グネーディゲ ヘレン”(ドイツ語で閣下の意味)と呼ばれていた。

共同支配地は、盟約者団から交代で送られる代官によって統治されていた。プロテスタントよりもカトリックの邦が多かったため、より多くのカトリックの代官が支配地に赴き、カトリックの代官とプロテスタントの住民の間だけでなく、邦間にも対立をもたらした。

ベルンにとってのヴォー、いわゆる従属邦では、ベルンの代官とヴォーの有力者が共同で政治を行ったため、共同支配地よりも統治者の支配は緩やかだった。

各邦の代表者による合同会議があったが、拘束力を持つものではなかった。