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中央スイスからブルニック、グリムゼル、グリース峠を越えて北イタリアへ向かう“スブリンツ・ルート”を通る荷馬を引いた人々。

中央スイスからブルニック、グリムゼル、グリース峠を越えて北イタリアへ向かう“スブリンツ・ルート”を通る荷馬を引いた人々。© www.sbrinzroute.ch

歴史ーはじめに

スイスは、長い年月をかけて、さまざまな都市や農村部の地域の集合体から発展してきた。1921年に誓約を結んだことで知られるウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの原初三邦がそれらの支配圏、および、勢力圏と共に、現在の26の州を持つ連邦国家にまでなった。

スイス盟約者団は、邦同士の和合や政治的、社会的、宗教的な闘争の時代を経てきた。1798年にフランス軍に敗れたことで盟約者団の旧体制は、崩壊した。スイスの政治システムは、1948年までの革命過渡期にさまざまに変化した。

1848年、文化と言語の多様性を保持しつつ、国家の団結と公益の追求を約束することを永続的な基盤とした新憲法と共に連邦国家が誕生した。

生活圏
スイスは、そのほとんどを起伏の多い山岳地帯が占めているため、集落に不向きな土地が多く、道路を通して、通り抜けるしかない。アルプス山脈やジュラ山脈の峠道を越えて、昔から人や物資が運ばれていた。アルプス山脈、ジュラ山脈、ライン川、ボーデン湖、レマン湖に囲まれた中部平原には、主な集落や産業が集まっている。

峠道は、現在スイスがある地域の内外から権力者の関心を集めていた。スイスは、重要な峠道を支配することを試み、中世中期以降は、アルプスの谷間にある地域の解放を求めた。そのようにして、谷間の地域による自治の形態や伝統を作ることを可能にした。

資源が乏しく、耕作可能な土地の少ない国の住民は、昔から、農作物やその他の商品、後には、工業製品やサービスを輸送する交通網を必要としていた。19世紀に入るまでは、人々は、飢餓を回避するために繰り返し困窮の時代をさまよわざるをえなかった。

都市と農村部
中世期には、産業が栄え、繁栄が周辺地域へ広がったことから都市が形成されたが、多くの人々は、田舎の村々や人里離れた場所に暮らして農業を営んでいた。
それぞれの邦が主に自分たちの利益を代表しており、状況に応じて、他の邦と協力し合ったり、反目し合ったりしていた。特に都市と農村部、宗教革命の後には、カトリックの邦とプロテスタントの邦が時折、緊張関係に陥った。中世後期や近代の初めには、少々の争いはあったものの、旧スイス盟約者団は、団結していた。

平等と不平等
盟約者団内の邦間、および、盟約者団と近隣の地域間の関係はさまざまであった。隣接する都市や農村部の中には、それぞれの自治権を保持しながら、盟約者団と同盟関係を結んだ邦もあった。グラウビュンデン、ヴァリス、ザンクトガレン修道院と町、ジュネーヴ、バーゼル司教区の一部がそれらに含まれていた。

その他の地域は、支配下に収められていた。都市ベルンに支配されていたヴォーのように一つの邦に支配されていた邦もあれば、トゥルガウやアールガウのように複数の邦に支配されていた共同支配地もあった。

現在、これらほとんどの地域は、スイスに属しており、一部が隣国の領土となった。(ムルハウゼはフランス、ロットヴァイルはドイツ、ヴェルティニがイタリアの領土。)

ヨーロッパの中のスイス

スイスは、常に隣国と影響を与え合いながら発展してきた。スイスのドイツ語圏、フランス語圏、イタリア語圏は、ヨーロッパの文化圏と密接に結ばれており、これは、多言語の国家にとって、昔からさまざまな分野において、隣国との活発な交流を可能にするチャンスをもたらしてきた。